■西の丸 長局&化粧櫓
姫路城を築城したのは徳川家康の娘婿である池田輝政。関ヶ原の合戦後も豊臣秀頼を警戒した家康が大坂城と西国の諸大名との間に築城することにしたのです。幕府の豊かな財力と約9年という当時にしては驚異的な早さで完成した城は江戸城にも匹敵するほどの威容を持ち、幕府の西の要の役割を担ったのです。
化粧櫓は池田氏3代の後、入城した本田家の長男に嫁いだ、家康の孫娘「千姫」を迎えるために増築されました。化粧櫓に接続する長い長い建物「長局」は千姫に仕えた侍女たちが暮らした部屋です。千姫は最初、豊臣秀頼と結婚しましたが、大阪夏の陣で大坂城が炎上した際、助け出されて、再婚しました。歴史的悲劇を体験した後はここで穏やかに暮らしたようです。中を見学することもできます。
↓化粧櫓
千姫の化粧料(嫁入りの持参金)10万石で建てられたことから。
菱の門を通れば、門は「い・ろ・に・ほ・へ・と…」と続く。
ろの門からはの門へ至る、スピンカーブと石段。時代劇のロケによく使われているとか。
■はの門
出入り口が小さくなり、石段が巧妙に駆け上がりぬくくなっています。
☆続きはまた今度